『わたしを離さないで』

今年の3月にドラマ化されたドラマを

7月の今、4ヵ月遅れで1話から最終話まで

ノンストップで見た。

 

ドラマの内容は予告ではわからなかったけど

タイトルが、私がよく言う言葉にしない言葉に似ていたので、録画したんですが...

フルに見る時間の余裕と心の余裕がなくて、

4ヵ月遅れで見る事になった。

 

物語は「陽光学苑」という隔離施設からはじまった。

光と影の様な施設。

過酷な施設内じゃなく何不自由ない

名門学園を連想してしまう環境。

(この時点で、この子たちは親と云う存在を知らないで育つてるのだろうか?)

しかし、ある時先生から

「君たちはある特別な使命を背負った子供」と、告げられる。

それは【クローン人間】と云う事。

だから影のクローンは「陽光学苑」という隔離施設内、本当の自分は光の外の世界で生きている。

そして成人になり、【使命】それは、臓器移植提供者。

3〜4回ほどの手術を繰り返し人生を終えるという運命の物語。

臓器提供をする通告のハガキが来た者を「提供者」、提供者になるまでの期間は、同じクローンのケアをする「介護人」になる。

 

3話あたりまでは(『録画しなくてもよかったかな...』と、思って集中して見てなかった。)

4話で、美和(水川あさみ)が、友彦(三浦春馬)に告白をし、キスシーンから集中120%!!

 

恭子(綾瀬はるか)が、友彦を好きなの知ってて、告白?

(自分事と重なる......)

食堂?で、美和が『つき合う事になったの』

恭子はパニック状態。

性格悪い一言『恭子もトモの事を好きだよね?』

(セリフは要点のみにしてます。)

言えるわけない【好き】だなんて...

好きを否定する心の痛さ。

飲み込む気持ちの悲しさ。

その場から逃げ出したくなる絶望感。

 

当て付けで、自分の好きな人と、好きって気持ちもないのに、壊す勝ち誇りたい美和の考えが見透かせる。

関わりたくないのに、近寄ってくる

恭子の心の痛さに共感。

 

心の声として入るナレーション。

『私はどきどき嫌な女』

自分の気持ちを隠して友彦を想ってる罪悪感が

【自分は嫌な女】って思ってしまう。

 

私も【嫌い】とか裏腹な強がりして、好きな人とかを突き放す時は"嫌な女....."って、罪悪感なるし、心が痛くなる。

 


美和が提供者になり、恭子が介護人になる。

本当は介護なんてしたくない気持ちと、ほっとけない自分との葛藤があっただろうなぁ....

あんなに嫌がらせをされた美和の介護なんてしたくない。って、思う感情もわかるけど、

他人をほっとけない気持ちって、そういう感情と介護は別のもの。


その頃同じく提供者となっている友彦と

3人で育つた陽光学苑に行きたいと美和が言い出す。

道中で車のルームミラーから見る。

美和と友彦の笑顔溢れる会話を見て

怨んだり、ヤキモチすることもなく

【美しい】ってセリフだったか曖昧ですが...

なんとなく共感してしまう。


そんな光景を見ていたら昔がよみがえるから、

本来なら不愉快的な感情になったり

セリフでもいいのに美しい。


怨みがあっても、人の心から溢れる笑顔は

自然で、見てるだけで微笑み溢れるし

幸せな気分なる。

それを美しいって言葉で表現したのかなって、思いながら見ていた。



そして話を飛ばして(笑)


【本当に愛しあってる恋人たちには「猶予」がある】と、小さな光を信じたが、そんなものは存在しなかった絶望感。

荒れた友彦、恭子の介護さえ拒否をした。


友彦のカウントダウンの絶望感。

もしも今回の提供で、任務を追えられず

4回目の提供待ちの間の人間の体がどうなるのかは、見てきている。

それを愛する恭子に見せたくない気持ちも、

大きかったと思う。

でも、恭子側の気持ちを自分に置き換えたら...

どんなカラダになっても1分でも長く生きててほしいし、最後まで一緒にいたい。

そんな、最後が近い中のズレ。


そんな時に、龍子先生(伊藤歩)との再会する。

【サッカーを見に来ないか?】と言う誘い。

そこで龍子先生から、同級生だった友達の心臓提供により命を繋いだ子供を応援する親。

その子供には提供者になった友達の名前をつけ、提供してくれた事に感情にしてると、龍子先生に聞かされる。


それを聞きながら友彦は

「先生、世界はやぱり広かったんですよ」と、感謝の言葉を口にしつつ、最後の提供を追えた。


この言葉を聞いた時"私と同じ答えだ"と、思った。





友彦、美和、共に育った友達たちは、提供者となり先に天国へと旅立った。

恭子には、提供者ハガキが来ない。

介護をしていた人たちも次々と...

陽光学苑出身の同級生たちはいなくなり、恭子を残すのみとなった。


幼い頃に聞かされてる。

「なくしたと思ったものが流れ着くという昔話がある」という「のぞみヶ崎」を訪れると、そこには年老いて車椅子に座り、波間を眺める元校長・恵美子(麻生祐未)がいた。


恭子は、【宝箱】って、学苑の生徒が渡されていた箱の意味を問い掛けた。

「どうして陽光ではこれを渡していたんですか?」と、

元校長の恵美子は

「誰にも...奪えないものを持っていてほしかったんです。あなた達の体は奪われてしまう。だけど思い出は奪えない。それは...あなた達を支える物に、なってくれるのではないかと思ったんです」と、

(※セリフ曖昧)


ここも、私と同じで...

別れた元彼たちとの思い出を宝箱に

昔からしまっている。

どんな形で別れたり、離れたりしても

思い出までは、消してしまいたくないから

未練とは違う、宝箱として昔から、なにかしらとってある。



「トモ...私もそろそろそっちに行っていいかな?」と、自ら死を選ぼうとする恭子。

海へ一歩づつ入って行くと、浜辺へと流れついた友彦のものとそっくりな古いサッカーボール。

それを抱きしめて、恭子は提供して命が尽きるまで生きることを選ぶこととなって完結した。



この「なくしたと思ったものが流れ着くという昔話がある」という「のぞみヶ崎」


私の解釈?思った事は

【なくした物】それは、恭子の生きると言う気力。生命力。

しかし、流れついたボールを見て

一緒に育った同級生たちは、天使として他の人の命となって使命を追えてるし、知らない誰かの一部となり命を運んだ。


自分は使命や天使にも背を向き

1人になった寂しさから自ら命を追えようとしてる。

クローンでも生きたい願う友達。

助けてと泣き叫びながら天使なった美和。

生まれてきて良かったと思い使命を追えた友彦。


忘れていたもの=なくしたもの。


それは自分は天使として生まれてきたということ。

「のぞみヶ崎」に、恭子が流れ

忘れていた使命と天使を

先に天使なった友達たちが教えてくれた。


提供者として追えるか、寿命で追えるか。

それでも、最後まで生きようと

思い出させるラストシーンだと、私は感じた。


私の宝箱も、まだまだ良い思い出、嫌な思い出が増えると思うけど

寿命がくるその日まで笑顔で生きて行こう。